2024 戸隠参詣神殿舞踏顛末記 その2
隋神門から左に折れて鏡池に向かう散策路を行く。午前中に雨が降ったせいで植物園の原生林は湿気で蒸れていたが、戸隠の霊気を全身に吸い込むようなイメージで呼吸しながら歩いていたら、いつのまにか股関節の痛みは気にならなくなっていた。
「シャーマンの樹」は下半身がボロボロになっていた。根元が半分腐りかけていたのである。樹齢も樹の名も定かではないが幹周りは優に3メートルを超え、原生林を作る他の樹々とはその種もあきらかに異なる。確か2年目の戸隠参詣の時にこの樹と出会った。幾度となく顛末記にも記したが、その樹は明らかに何度も雷に撃たれていた。幹の上部は黒く引き裂かれ、その容姿は西洋の寓話に登場する魔法使いが踊っているように僕には見えた。そして、幹中央部には巨大な男根が盛り上がり女陰が口を開けている図。さらに、幹の周囲の凹凸にはさまざまな獣たちが潜んでいるように見える。つまり、生命世界の凝縮図として捉えられた。その衝撃から僕は勝手に「シャーマンの樹」と名づけ、スピリットアニマルならぬスピリットウッドとして心に留めてきたのである。
昨年の秋の奥多摩神殿舞踏は「定点観測」という題名だったが、チラシにはこの「シャーマンの樹」の写真を使った。いつか陽の目をと思っていたが、さすが「シャーマンの樹」、この時も見事な共時性を発現してくれた。「定点観測」という題名は「シャーマンの樹」から、そして、僕自身の立ち位置からイメージしたものだが、その時の音楽選定の時に即「定点観測」という題名の女性コーラスの合唱曲をM女史が見つけてくれた。えっ?そんな名前の合唱曲があるの?!と。テーマとチラシの写真と音楽が三位一体となって現れた一例である。
僕のそれほど根拠もない、その時のなんとなくのイメージはいつも見事に組み合わさって現実に創られる。20年前、戸隠に参詣することになったときも練りに練った計画などではなかった。この、出たとこ勝負的感性が僕の即響舞踏を支えている。どう試みようが応えはちゃんとあるのである。
僕は「シャーマンの樹」が戸隠の原生林を雷の襲来から守っていると想像している。つまり森の中の生きた避雷針としての存在だということ(「定点観測」のイメージはここからくる)。雷の襲来を我が身で一手に引き受けてきた樹だと思うのである。そして、雷に撃たれる度に表面が削られ剥ぎ取られて遂に正体を現した姿が剥き出しの生命の根源であった。
僕は地球上に生命体が誕生する端緒を開いたのが雷だと思っているのだが、その根拠は置いといて、獣たちから性エネルギーのシンボル、そのてっぺんに人の内面に渦巻く不合理な力の形象としての魔法使いを戴く「シャーマンの樹」は、もう一方の意味で雷が教える啓示でもある。
だが、半分腐りかけている状態を見たとき、ショックと共にその寿命が想起された。あと何年生きられるか。それは我が身の寿命に対する想像と重なって、この樹が倒れた時が自分の往生なのだと、否、どちらかというと一緒であって欲しいと思ったのであった。
日本列島への雷の襲来は今年も半端ではない。その襲来に飲み込まれ、チラシも雷模様にしてしまった。そんなことを考えていたら「痙攣」を題名にしたのも、ひょっとして「シャーマンの樹」が朽ちていくプロセスとして痙攣状態であることの暗示だったのかもしれない。
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