2024 戸隠参詣神殿舞踏顛末記 その1
いつの間にか夏の戸隠参詣も今年で20回目、その時々にいろいろなことがいろいろに出現してきた。一座のメンバーも微妙に変化しながら、奉納する火之御子社の佇まいも変わり、楽人として参加してくれるミュージシャンも入れ替わってきた。20回に及ぶ定点観測から、人の人生の流転、それは我が身の流転でもあるのだが、すべての状況や状態というのはこちらの意図と自分以外のものの成り行きが混ぜ合わさった瞬間的果実であったということがわかった。
そして、今夏の3日間の共時性は参加メンバーのすべての人が1から10までスムースに事が運んだという言葉に象徴されるだろう。幼い子供を含む十数人のそれぞれが自分を保ちつつ、場と集団のエネルギーと自ら為すべきことが滑らかに調和していた。こうした状況はきっと珍しいことだと思う。
新しい初めての人がいればちょっとした場面の対処も変わるだろう。雨が降ればまた我らの即興性が試されるだろう。準備したものに落ち度があれば慌てふためくだろう。こちらの要望に神社や地元の方が難色を示せば事は頓挫するだろう。僕たちはこれらのハードルをクリアしてきた証拠としての3日間を過ごすことができた。大きな節目の2024年の戸隠参詣であった。
今回のテーマ「痙攣」はなぜか僕の好きな言葉のひとつである。切羽詰まった異常な身体状況を喚起させるが、ある種の変性した意識の状態も合わさる。別の見方からすれば、我らの生命身体は原子分子の集積振動体でもある。だから、僕にとって「痙攣」とは振動、震え、動きに対する装飾言語としてある。且つ、病的症状として捉えれば、いろいろな意味で世界情勢から我々一般人の生活スタイルの激変期に遭遇し、人々の精神の奥域は「痙攣」状態であるという想像がある。
「痙攣」とは全く関係ないが、当初、今回の神殿舞踏は妖怪をテーマにしたかった。なぜなら、この地球世界を跋扈する人間たちはすべて妖怪であると捉えた方が、この現実をつかまえようとする時、合点がいくからである。はるか昔から物語や絵草紙に描かれ登場してきたさまざまな妖怪や化け物は皆、現実の人間たちがモデルに違いないのである。妖怪や化け物の多くは動物やモノと人を掛け合わせた姿として描かれる。どんな美男美女もどこかの一部をデフォルメすれば直ぐに妖怪に変身するし、能力的には人間は長い歴史を通して妖怪にもできないようなことを成し遂げてきた事実がある。すでに、科学の技術はそれをも凌駕した魔法界に我らを誘っている。
そんなことを想いながらたまたま散歩していたある時、「ご自由にどうぞ」というガレージセールをしていた家の前にあった簾を見つけた。一時は通り過ぎたのだが「妖怪」のことを思い出し、その簾から「唐傘お化け」のイメージが湧いた。そして、その簾を持ち帰ったのである。
そして、思案しながらの唐傘に似せた小道具製作。簾をバラして、ああでもないこうでもないと結構苦心した。まあ、なんとかそれっぽくはなったが本番ではただただ振り回す芸当に至ってしまった。そういう結果も僕自身の「痙攣」と「妖怪」がちょっとミスマッチかなという予感からくるものであろう。が、まあそうした成り行きも必然と捉え戸隠に出立したのである。
その道程はいつもながらなので省くが、以前と比べると随分と身軽な道行きになってきたという感慨がある。昔は車5台もでつるんで観光地(小布施とか野尻湖とか妙高とか)を経由してバッタバッタやっていたなあと。みんなも若くはないのであった。
順調に宿に着けば一座の勇士は恒例の奥社参拝。今年は自分も加わったが、隋神門でギブアップ。歩いているうちに右の股関節が変に痛くなってきたのだ。で、奥社参拝は諦めて、ひとりでゆっくりと「シャーマンの樹」を訪ねることにした。
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