舞踏塾(舞族)
踊ることを一種の「瞑想行」として捉える舞踏塾です。既成のポーズや踊り方を学ぶのではなく、ましてや自己陶酔するのでもない. 自由に動きながらも「私」という宇宙に集注する。そこに誕生する存在の相貌をダンスとして、祈りとして、贈り物として成り立たせようとするものです。
からだはうすの『舞踏塾』では毎週一回の稽古以外に、課外公演を年3回~4回行っています。
春は桜の下で、夏は戸隠神社で奉納舞踏、秋は河原乞食として、もちろん屋内での公演もあります。公演であっても即興です。
舞踏の稽古の前に呼吸法を行い変性意識状態に入ります。
潜在意識に影響を与えることが出来る状態で、内面にダイブし舞踏の稽古が行われます。
自分自身の内側からのリズムで音楽奏で、湧き出るエネルギーを身体を使って表現していきます。じっくり自分の内側に向き合う事で舞いは完成していきます。
長野県戸隠神社、天鈿女命を御祭神とした火之御子社(写真は8/18に毎年行われる大祭の時の奉納の模様)
舞踏講師:髙橋実
舞踏を笠井叡氏、大野一雄氏に師事。
早稲田鍼灸専門学校にて東洋医学を、吉福伸逸氏からトランスパーソナル心理学をベースにした呼吸法を習得。
1984年心身のメカニズムを探求する場として「からだはうす」を開設。
舞踏と呼吸法と施術を通して、身体や感情、心理や知性、感覚やスピリチュアリティの
エネルギー的関連を象徴的な見方から紐解いていく作業に取り組んでいる。
《舞族》の『神殿舞踏』
〈孤独生命〉が奏でる 【存在の詩】を『舞踏』と呼ぼう。
『舞踏』とは決して浮かばれることのない「懸命さ」と言おう。
何故踊るのかと問われれば、「踊らない理由がないからさ」と答えよう。
神殿とはすべてが許されるフィールドである。
そのような場の仮の姿である。
よって、身体とは神殿であり、且つ、成功も失敗もない実験そのものである。
そして、人生とはその実験プロセスのことである。
人類は宗教を産んでドツボに嵌った。
次に科学(論理)を育てて自らの首を絞めた。
さらに、イマジネーションに芸術という称号を与えた瞬間、死んだ。
これが世界を裏側から見た光景だ。
希望と絶望のカオスの昇華先を仰ぐより、われらは希望と絶望の出所を訪ねる。
稽古風景
即響舞踏 一発稽古
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