2025年戸隠参詣顛末記
戸隠参詣 神殿舞踏「アブダクション」顛末記 2025/8/17〜19
この顛末記を終えないと、僕の神殿舞踏は終了しないので今年も書きます。ただ、今年は本当に3日間とも大晴天、いろいろな用事や作業も勝手知ったる行程で、軽ーくはかどっていった。ので、いつものように立ち止まるべく障害が見つからない。参加者の誰それがどうしたこうしたの事件もないので、短く済みそうである。
初日、年毎に厳しさを増す夏の猛暑、腐りかけた肉を引きずりながら仕込みの器材等を車に積み込んで予定通りからだはうすを出発。今年の初参加はO氏とH女史の2名、現地でM号と群馬からのNちゃん、岡山からのSちゃんと合流し、子供たちを加えて総勢14名の戸隠詣となった。道中、どこまで行っても照りつける陽射しは容赦がない。それでも順調な流れの高速道路、SAでの休憩を増やして昼食時間を調節。ちょうどのお昼に松代食堂に到着。各々好物をお腹に入れ戸隠に直行。
僕の車には初参加のH女史が便乗。彼女と会ったのは今年の4月のブレスワークが最初で、それ以降立て続けに7回も。それほどの接近力ならばと、敢えて戸隠に誘ったのであった。H女史は九州大分市で犬のお世話をする仕事をしているのだが、その佇まいからは野生的なエネルギーが醸し出されている。
自己紹介を聞いたとき、僕の脳裏に閃いたのは宮崎駿の「もののけ姫」の物語。幼少期から犬とお話ができたというHさん、ならばそのルーツは狼ではないか。最も早くに人間に飼い慣らされ家畜化した動物。彼女の血が騒いでいる。ところが、人として登場した現世では吠えるを去勢されたペットの本能に狼を想う苦悩。物語では森を守る山犬と、貧しい村人と病人たちの生活の糧を得るために、たたら場の主としての闘いが描かれるが、Hさんの風貌はそのたたら場を仕切る女主人「エボシ」に重なる。僕は「エボシ」に人々を守るために苦渋の選択としての森の破壊を感じるのだが、Hさんにもそれに似た葛藤を想うのだ。そういう勝手な印象からHさんをエボシとあだ名したのである。
そのルーツに野生を漂わせているせいか、僕はHさんに、この戸隠参詣がどういうものであるのかを教えずに誘った。誘う方も誘う方だが、それに乗る方も乗る方である。まあ、百聞は一見にしかず、というから肯しとしよう。後部座席で僕と彼女はいろいろと話をしていたはずなのだが、何を話していたのか全く覚えていない、ということは、どうでもよい話だったのか、僕の記憶喪失の症状が進んだのか、のどちらかだろう。ごめんなさい。それでも、初対面のメンバーに紹介する時、ブレスワークを経験した人ということで、互いの関係に妙な安心感と親近感が生まれるのを僕は知っているので、躊躇のない引き合わせができる。この仲間の中では緊張は要らないのだ。善光寺を左に折れて山道を駆け上がればやがて、緑のシャワーを浴びてH女史の瞼は閉じられ、ただ戸隠の清涼を吸い込むのみであった。
今回の時間の余裕は行きがけに宝光社へのお参りを可能にしてくれた。杉の大木が両脇を固めて急な階段を上方に導く宝光社のダンディズム。下から見上げただけで早速の異界参入である。僕は膝のことが気になったが、思い切って登ってみると意外と大丈夫であった。戸隠の賑わいは宝光社にも及び、駐車場には昨年まではいなかった案内人が二人もいた。
宝光社を後にし、火之御子社と山口屋に来訪の挨拶をして「ぴあろっきー」に到着。ここで皆は奥社参拝に向かう。その前に「ほほん」で灯籠の準備をしたんだっけ?山口さんと話して、明日に仕込む筈のパレットやハシゴや竹をその日のうちに火之御子社に運べたのはとてもよかった。本当に今回の段取りはスムーズであった。初日のメーンイベントに心置きなく集中できたのもそのスムーズさのお陰であった。
さて、初日のメーンイベントというのは、これまた初参加のOさんの独舞を企画していたことだ。Oさんとの出会いも確か1年半ほど前のブレスのワークショップであった。その後、舞踏塾にも時々顔を出して稽古に参加するようになった。と言ってもほんの数回である。だが、彼のバイタリティは半端なく、ブレスでも、踊りでも、さらに話から察する行動力においても尋常ならざるエネルギーが発揮され、その際立つパワーは修羅の如し。Oさんは何事においても全力を注ぐ人である。そんなOさんが戸隠に一緒したい、しかも踊れないかと言ってきた。
これまでの例から、数回の稽古参加で戸隠で踊ることは通常考えられない。しかし、彼の存在感は踊りに匹敵するだろうことは分かっていたので、表の奉納舞踏ではない形で前夜祭的に、密かに火之御子社の闇と対峙することを考えた。Oさんの存在感は実に信頼に足るものであることは、ブレスなどの付き合いから察していたし、踊りのイメージも即座に湧いたのである。彼が戸隠で踊れないかと言ってきたのが8月3日(ブレスの日)だが、7日(稽古日)にはすでに衣裳も決めて渡すことができたのである。
前夜祭を夜の8時に決め、夕飯も早々に照明器具を持って一同火之御子社に向かう。僕は小さな竹笛とチベッタンベルを携えた。終わりの合図ように音楽をK君に頼んでもおいた。何が起こるのかOさんには何も知らされず、顔を白く塗られながら「夜を盗め」とか「縁の下から這い出せ」とか、訳の分からないことに頷いてスタンバイ。ベルを合図に青い明りが神殿の縁の下に灯る。そこからは皆さんが観ての通り。排水溝を流れ落ちる水音が途切れなく鳴っている。
舞台は僕的には予想通りの図が展開した。が、その内容は実に濃いエネルギーの変容であった。はらわたから抉り出される凄まじい気力が赤のぼろ着を纏って咆哮し、時にはのたうつ。闇に棲む魑魅魍魎に挑むのか和解するのか。Oさんの内部には魔界の住人たちが棲む。鬼も妖怪もお化けも原始人も、そして死者も。その共存感をこれほど剥き出しに現せる人は少ない。僕は彼に対して、人類がこれまで犯してきた罪を一人で背負って懺悔している、そんな印象を持っているのだが、生きるということをとことん極めていこうとする徹底さに感嘆するのでもあった。そんな想像がまた一段と強化された面白い舞台であった。夜も遅くなり、立ち会った面々の感想をきちんとシェアする時間を取れなかったが、ビデオを見ながらの鑑賞談義に参加した人の中には、とても初めて踊ったとは思えなかったなど、Oさんの異様な世界に驚いていた人もいたのだった。
2日目、朝食を終えてテラスでコーヒーを飲みながらゆっくりと歓談する余裕があった。神事の身支度を整えて火之御子社に向かう。ここで僕は今回の旅で唯一のチョンボをしてしまった。火之御子社は駐車場が狭いので駐車には気を使う。なので、昨年使わせてもらった駐車場に最初から目をつけていた。空き地にはロープが張ってあったが、それを勝手に外して車を誘導していた、途端に、激しい剣幕で怒鳴り声がする。向かいのガソリンスタンドの主人であった。ここを勝手に使うとは何事だ!と。僕は、ここは火之御子社の駐車場で昨年はここに駐車させて頂いたので今年も大丈夫かと思って停めた、と言った。しかし、去年は確かにあった火之御子社駐車場の小さな看板は見当たらない。不法侵入だとこっぴどく責められ、僕はただただ申し訳ないと謝るしかなかった。ガソリンスタンドは、地元の山一屋一族の経営で、この空き地も山一屋の土地だったようだ。彼は、昔の我々一座との確執もよく覚えていて、昔の因縁にも触れた。あーあ、また山一屋か!山一屋との因縁は我らの戸隠詣の唯一の黒歴史である。地元でも山一屋さんは地域問題の当事者として疎んじられている情報は入っていたが、あー!やってしまった!神社に確認せずに思い込んだ自分のご都合主義を反省した次第である。
つまらないことで長くなったが、神事は例年通り奉納舞を中心に滞りなく執り行われた。倭舞のお師匠さんは、今年はお琴の調べをバックに舞を披露、かなりの高齢にも関わらず磨きのかかった確信的な舞を舞っていた。僕たちが最初にきた当時と比べると神職の面々もだいぶ若返ってきた。
神事も早々に終わり、昼食のため山口屋に向かう。大混雑で空くのを待つ間お土産品を漁る。山口屋は明日お休みとなるから。VIP待遇は今年もお預け、混雑と人手不足とで山口屋さんも余裕がない。そんな昼時に東京からのお客さんが登場。Aさんである。Aさんは10日のブレスワークに初めて参加した女性で、この戸隠神殿舞踏を観るためだけに来たのである。
Aさんもとってもユニークなお人で、お話をしてると何故か「こんなんでいいのかなあ」と首を傾げたくなる状態がやってくる。彼女の人生にもただならぬ背景があり、なかなか皆、一筋縄ではいかぬ強者どもの集まりは、またひとつ強化されていく。一緒にお蕎麦を食べて、荷物を宿におき、そのまま火之御子社に連れられて仕込みの手伝いをさせられて、Aさんの心情は如何に?しかし、彼女のお祖母さんは戸隠出身という縁もあり、たまには故郷へのご奉公というつもりで、手伝うのも一興かなと思うのであった。聞けば、神職の免状も持ち、嫁いだ先も都内の神社、ブレスワーク時の美しい動きには、本来の巫女たるものはこうであろうと思わせられる風情。Aさんは、そのように我ら新参者より戸隠や神社に深い縁をもつお人なのであった。
舞台の仕込みはひとつの事を除いて順調に進む。幟を立て、本殿の下部を暗幕で覆い、化粧場を作り、椅子を並べ、灯籠を設置し、パレットを舞台中央におく。照明も徐々に位置が定まっていく。こうした作業は毎度のことなので、僕が何も指図することなく整っていく。何度も言うが、雨を気にする必要がないということは本当にいろんな意味で素晴らしい。で、問題は舞台装置にしようと持ってきた円筒の発泡スチロール。山口さんはこちらの要望通り綺麗な竹を16本用意してくれていた。その頃には音楽隊も揃ってくる。お馴染みの3Aトリオ、あすか、青山、飽田、さんの面々である。昨年はずっと高速を突っ走っている感じだったので、今回は時々SAに入って休憩してねと頼んだ。
「アブダクション」には宇宙船が一般イメージ。なんか雰囲気でもそれっぽい、ちょっとメタリックなムードを醸し出せないかと考え、以前使った円筒の白い発泡スチロールを輪にして立てることにした。お金をかけずに(ないので)、基本、キッチン周りの小物や生活用品を利用して細工するというのが僕のやり方。みんな、なんでこんなことを!と心の奥の叫びを封印して頑張って作ってくれる。出来上がれば、なんちゃない作品でも作った人たちの労力は舞台に飾られる。何をするにも出たとこ勝負なので、〜らしきものができればそれで肯しが僕の流儀。細かいことは言わぬが仏。とりあえず、見え見えの竹を囲って、白い輪は空中に浮かんだのであった。
しかし、僕の仲間たちの日常にはない作業の展開のなかで、Oさんの動きは際立っていた。境内には5mほどの高さの街灯があって、本番にはその灯りが邪魔になるので覆うのだが、これが足場も悪く、長梯子に乗る経験もないので、皆の腰が引けて、ちょっと手間取る。そこに、農作業もお手のもののOさんがするすると登りパッと袋を掛けて降りてくる。装置にした白い輪を立てる時も階段下の石が敷き詰められた場所に、難なく穴を空けて立ててくれた。この実行力と安定感。僕は田舎育ちなので、こういう大人たちの仕事ぶりばかりを見てきた。ほんの束の間のことだけど、久しぶりに身体を使う仕事の本来の姿を垣間見て、心が整然とするのであった。
開演の準備が整い、塗りも完了して、時間外労働となる神職さんのお祓いに一同首部を垂れ、いよいよ幕が開く。オープニングの形だけ決めて、あとはそれぞれの即興に任せるのが神殿舞踏のスタイル。構成がないので統一感は皆無、ただただ時空を掻きむしるのみ。神殿舞踏には少しの意図も美意識もない。バラバラのいのちがひとつの場に在ることの奇跡、これこそが日常の真髄。
「人さらいの風」は観た人を含め、誰かしらの日常を揺さぶる風となって吹く。徹底的に刷り込まれた鑑賞の眼が鱗となって剥がれれば、次のような事態が現れる。東京から観に来たMさんの同僚の感想ー「踊りの最中、小さい頃からの自分の人生が走馬灯のように湧き上がってきて涙がとまらなくなった。とにかくすごかったです。」と。
下手くそな踊りにも、こういうことは起きる。僕の言う「アブダクション」とはこういう事態のことだ。
神殿舞踏が他者に観てもらうことに意義があるとすれば、舞踏を通して踊りの向こう側と、つまり、観客当人の内部(無意識領域)にうごめく感覚や感情や風景と出会うことに尽きる。そうして僕たちは、互いに生まれ変わっていく。数ある通常のイベントには感動に誘導する仕掛けや演出がある。設定された感動の共有感に人は感動する。しかし、その感動に中身はあるか。我ら踊る者たちの感動や評価を目指さない存在の現れは、そうした事態を招こうとするいやらしく隠れた自尊の囁きを消す作業となる。
今回は時間が短く感じられたが(実際、少し早めに終わった)、バックのミュージシャンも丁寧に舞台を引き締めたり緩めたり、珍しくとても踊りやすかった。終演の挨拶を済ませて白塗りを落とし、着替える間に皆は怒涛の撤収にかかる。僕は飽田さんにお礼がてら来年の応援も頼む。舞台に使った照明器材等諸々を境内の隅に集めてブルーシートを掛けて宿に向かう。
宿のテラスではすでにバーベキューの焼ける匂い、風呂を急いで打ち上げの乾杯。夜の9時を当に過ぎての夕飯を快く許してくれる「ぴあろっきー」には感謝の言葉もない。一言シェアを聞きながらも、口の方が忙しい。こういう時の夜は速い。なんだかんだでテーブルもお皿だけになってくる。お開きの時間だ。部屋に戻る人、テラスではタバコ組が夜を語り合う。お酒も入り、誰もが何の話をしているのかわからないまま盛り上がる。戸隠ならではの緩み方である。
3日目、快晴。朝食を済ませ、各自の荷物を整えたあと火之御子社に向かう。大分に戻るHさんとはここでお別れ。一行は昨晩まとめておいた器材その他を車に積んで、ぴあのテラスで綺麗にして梱包、車に納めてから中社参拝。僕は火之御子社のお札を新しくする。Sちゃんはここで岡山への帰路につく。全く、女だてらに長時間の単独運転をものともせず、毎年参加のSちゃんには頭が下がる。本当に嬉しい。
昼まで時間が空いたので、初参加の人に鏡池を見てもらおうと案内する。鏡池は戸隠山の威容を湖面に映す絶景地。だが、とにかく暑い。古株達は皆木陰に身を寄せ合っての談笑。季節が春を過ぎた頃から、僕は武蔵野の木々を見て、今年は植物たちの襲来を予感していたが、戸隠山もいつもの岩肌を剥き出した姿から、濃い緑に覆われて、趣が変わっていたように感じた。
鏡池を後にして、恒例となったキャンプ場にある白樺食堂へ。今時の飾り気のない昔ながらのお蕎麦屋さんは地元の人のお薦めである。毎度ぴあの女将さんに予約をお願いしていても結構待たされるが常で、覚悟はしていたが意外と今年はすんなりと入れた。
地の野菜を素朴に調理した付出しには、都会暮らしで鈍った味覚も身体の中に残っている故郷を思い出す。
いよいよ、白樺食堂を後にして戸隠に別れを告げ、長野市内の温泉「うるおい館」を目指す。途中、長野駅で、新幹線組のOさんとAさんを降ろす。師妹関係にある二人にはたっぷりと話し込める時間が取れたことだろう。
温泉では、慌しかった宿の入浴の借りを返すかのようにのんびりと過ごすことができた。
入浴後は定番のコーヒー牛乳を飲んで、さあ、クソ暑い東京へ帰るか。Nちゃんとはここでお別れ。でも、横川のSAでまた会うのだが。
僕は後部座席で横になり、夢と現の間を彷徨っていた間、高速の山間部では突然の雷雨。この季節ではそういう場所なのでいつものことだが、それでも、抜けた後の虹の見送りには身も心もほころぶのであった。夕飯は高坂SAで下界への入り口としてラーメンを食べて、三鷹に向かったのでした。
以上が、2025年の戸隠参詣神殿舞踏のあらましである。結局、毎度の行程をなぞるだけなのだが、今回の旅ほどいつものメンバーにハプニングが起きず、スムーズ過ぎる成り行きだったので、3名の新しい顔ぶれの紹介のような形になった。その新鮮さに免じてこの駄文を許して欲しいと思います。今年も本当にありがとうございました。
合掌
で、最後に一言だけ。笑
今年は、早々に題名も決まり、チラシのデザインから詩も直ぐにできた。テーマは「人さらいの風」。あっ「人さらいの風」というのは、僕自身、勝手に暗黒の中世と呼んでいる高校生活の3年時の秋に突然、時空ごと拐われた出来事に由来する。その出来事を契機として僕の人生の歯車がゆっくりと周りはじめたのである。その経緯は長くなるので端折るが、僕がいまだに舞踏を踊っていることを思えば、その道に誘導されていく最初のきっかけは「あの時」だったのだ。
僕は長いこと「まつりの呼吸」というワークショップを開催しているが、これが意識の変性を目論むメソッドであることは皆承知のところだ。が、「人さらいの風」とは、意識が変性した状態の時空感だ。それを僕自身の感覚からすると「人さらいの風」という言葉になる。意識の変性とは異界にさらわれてしまうことだ。僕の神殿舞踏はある意味、異界参入の儀なのである。
僕は原始の人類の異界参入の儀の痕跡のひとつを洞窟の壁画に見るのだが、チラシにも使ったラスコーの壁画群には妙に宇宙を想起させられるものがある。2万年前のラスコーの洞窟内はその闇と酸素の薄さにおいて、とても神がかり的な場であったのではないかと想像するのだ。つまり、洞窟そのものが既に異界であった。そう、洞窟とは「人さらいの風」が吹き抜けるところで、神としての動物や人が現れて拉致する場であった。そうした諸々のイメージから今回の「アブダクション」というテーマが踊り出てきたのである。神(動物)であろうが、宇宙人であろうが、お化けであろうが、とにかく誘拐されてみたくて。
ふりそそぐ ひかりにまぎれて
われらのにんちシステムが はじけ とびちる
ときのけいれつがこわれて れきしのページが
かるくなり ふゆうする
しんじつをさがすこころみが てにおえないつみびとを
ふやしつづける
そしてわれらは きせつとともに
みらいに らちされてゆく
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2025.08.29 17:20