竹取物語
からだはうすがある三鷹では月に一度中央通りにマルシェが開催される。昨日がその日で、手作り尺八の露天を開いてみた。今回が三度目の出店である。
僕が尺八と出会ったのは4年ほど前。友人が尺八を習い始めた時試しに吹かせてもらったのだが、一向に音が出ない。この音が出なかったことが尺八に惹かれた最大の理由である。それまで尺八に興味を持ったことなど一度もなかったが、すぐにプラスチック製の尺八を買い練習した。とりあえず音が出るようになると面白くなってきた。時々、尺八のサークルにも顔を出して練習した。
そんな流れの中で、自分で竹を掘ってMy尺八を作ろうという会のお誘いに乗って竹を掘りに行った。最初は一本の竹を掘り出す作業がまるで苦行のように感じられた。しかし、この苦行がまためちゃくちゃ楽しかったのである。
鬱蒼と生い茂った竹藪の中に入り、尺八にふさわしいであろうと思われる竹を探して根っ子から掘り出す。昔、地震の時は竹藪に入れと大人から言われていたが、成る程と合点がいった。その根は互いに絡み合いながら四方八方伸びている。地中深くびっしりと根を張った竹を掘り出すにはそれなりの道具が必要で、その道具の使い方にも要領というものがある。ど素人の身ではなかな適わぬ。真冬の中泥だらけ汗びっしょりで格闘する。
1時間以上かけて一本の竹を掘り出す。そういう作業の中にもその人の性格が出る。僕は少し強引なところがあるようで、途中で竹に傷をつけてしまった。気をつけていてもやってしまうのだ。慎重さ、丁寧さ、思いっきり、工夫、根気、竹の根っ子にこれほど教えられるとは!
ようやく掘り出しても根元の形状が曲がっていたりする。根に食い込んだ土を洗い剪定してみないとその形状がわからない。掘る前の竹の真っ直ぐさは素人には当てにならない。そう、運も必要なのだ。そして素直さも。僕が掘る竹はどこかに歪さがある。
掘り出した竹を持ち帰って油抜きや天日に干し一年以上寝かせてようやく尺八の製作に入る。長さを決め、穴を開け、音が出るように調えていく工程にも慎重さ、丁寧さ、思いっきり、工夫、根気が必須である。そして、どんな音色が出るのか、それも竹との縁であり運である。音を出すには素直な息でなければならない。
My尺八を作る一連の工程にはその人の人間性が炙り出される。法竹と呼ばれる昔ながらの尺八が禅と深く結び付く所以は「一音」に賭ける人間性のいろいろが内包されているからであろう。僕はそこに尺八作りの醍醐味を感じるのだ。だが、僕はまだ「かぐや姫」と出会っていない。
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