ブレスワーク物語①

まどろみの中に静かな声がした。 

 「それでは、ゆっくりと目を覚ましましょう」 

 眠っていたのか、失神していたのか、 瞼を開くのに時間がかかる。

 普段とは違う身体の重さと軽さを感じる。

 2時間前に横になった布団の上で 2時間前と同じ姿勢で天井を見上げる。


 始まる前に抱いていた、 2時間も続けて呼吸などできるのだろうかという 疑問と不安は 杞憂であった。 終わってみればあっと云う間の出来事だった。

 だが、 その時間は不思議さに満ちていた。 目を閉じて大音響の音楽をバックに 息をたくさん吸ってたくさん吐く。 つまり過呼吸だ。 音楽の速いリズムに合わせながら 全身を使って呼吸するということをしたことがないので 最初は上手くいかない感じ。 

 呼吸すればするほど胸や喉が苦しくなってくる。 

 それでも自分なりに体の姿勢を変えたり 呼吸がしやすいようにいろいろと動きながら 呼吸を続けていると 両手が痺れてきた。 やがて動かすことができないくらい硬直してくる。 手指の形に異常な屈折を覚える。 ファシリテーターにお腹と胸元を押され咳と痰がでる。

 この時、なぜか一緒に涙が溢れ出た。 

 涙の流れを感じた途端悲しくなってきた。 

 悲しいことを思い出したわけでもないのに泣きたくなる。 

 「起こることすべてに委ねてください。これが鉄則です。」 と始まる前の説明が浮かぶ。

 私は大声で泣き、叫んだ。 眼も鼻も顔もぐしゃぐしゃにして。 泣き叫ぶことで 悲しみが薄くなり落ち着いた呼吸になってきた。 泣く前よりもずっと呼吸が楽にできるようになっていた。 さらに呼吸を続けていくと なんだか怒りたくなってきた。 この怒りの矛先には母親の顔があった。 母は二人姉弟の私には厳しく3歳下の弟には優しかった。 

 「なんでなんでなんでー!」ただの叫びにして訴える。 叫ぶとまた涙がでる。 私は泣きながら怒っていた。 そうするうちに 心の中の言葉が 「なんでー?好きなのに!」から 「大好きなのになんでー?」に変わる。 

 好きが前にくると好きな母の笑顔が浮かぶ。 確かに私は弟が生まれる前までは、 弟が可愛がられていたように可愛がられていたのだ。 そもそも愛情が変わったのではなく、 シチュエーションが変わったのだ。 苦労したのは私ではなく母の方だった。 そう思うと今度は 申し訳なさと有難さでまた涙が出るのであった。

 ああ、泣いてばかり、それなのに気分がいい。 いつの間にか痺れも硬直も消えていた。 よく、抑圧された感情などというけれど、 勘違いから生まれた感情もある。 思い通りに行く時も 思い通りにいかないときも 感情によって私たちは助けられている。 

 感情は 人間を豊かにするエネルギーであるが、 自分と他者や外界との折り合い加減で生まれる。 この折り合い加減というものが 実に不安定なのである。 ネガティブな感情にとどまっていると、 この不安定さがクローズアップする。 

 つまり否定的な感情が根付いてしまうわけだ。 が、そもそも親であれ社会であれ安定などしていない。 不安を、 あってはならないことにしないこと。 

 私たちの命が 不安定を前提にして在ることを心に留めおこう。 私たちは傷だらけになりながら生きているのだ。 

三鷹 整体治療院「からだはうす」

1984年心身のメカニズムを探求する場として「からだはうす」を開設。 整体治療による施術を中心に呼吸法、ヨガ、ストレッチを通して、心身の不調改善の作業と共に取り組んでいます。 精神的不調については随時カウンセリングを行います。

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