狐に鼻をつままれたような話
それは、見知らぬ人からの一通のメールからだった。
「友人の米国人が「劇団 無頼派」のレコードをリリースしたいと言ってるができますか?」という内容。辿ってみたら2022年12月の頃。メールの主はどうやらマニアックなレコードコレクターのようだ。
「劇団 無頼派」というのは、僕が大学卒業時にそれまで所属していた演劇部の仲間と旗揚げした劇団である。1975年だったと思う。その創立記念として、学生の時に公演した舞台の劇中歌を収録したのが「今様聖書(モダンバイブル)」である。だから、正確には「劇団 無頼派」の曲ではなく、国学院大学演劇研究会の曲である。収録された曲には新しく入った劇団員が歌っているものも数曲あるが、半数以上演劇部員が歌っている。
レコーディングは歌い手個人の緊張を差し引けば、とても和やかな雰囲気だったと記憶する。はっきりした制作枚数は忘れたが、参加者に配られたレコードを他人に聞いてもらおうとする者はいなかった。
なぜなら、他人に聴かせるほど歌唱力に自信を持っていた人は皆無だったから。
僕の後輩にあたる作曲家は自ら作った曲には自信を持っていたが、歌い手に対する望みは打ち砕かれていた。
結局、皆の思い出として作ったというレベルで直ぐに忘れられた代物であった。
そんな50年も前の素人が作ったレコードを再販したいという話、それもアメリカ。???。
半世紀も前に素人が作ったレコードをリリースしたいって!これは怪しい、詐欺ではないか、不審極まりない、僕自身もからだはうすの仲間も信じる者はいなかった。
が、こちらに何らかの要求(特に金銭の)がないのならと半信半疑で返答をした。
しばらくやり取りをしているうちに、相手方の本気度が見えてきた。
どうやら嘘ではないらしい。
が、逆に当方の記憶の怪しさが浮き彫りになる。
そうしたやり取りのたびに僕は50年前に引き戻された。
レコード制作より、本当に楽しかったあの学生時代に。今思えば「今様聖書(モダンバイブル)」は若き青き時代の記念碑だったのだ。
半年ほどで再販の契約を交わしたが、それからいろいろと劇団の経緯や資料のやり取りもあった。
ちょっと面倒くさくもあったが、丁寧に作ろうとしている先方の意欲は感じられた。
再販の時期は予定よりだいぶ遅れ、本当にリリースされるのだろうかという疑念が何度も湧いたが、僕の生活に直接触れる事案ではないのでまったく支障なく過ごしてきたのである。
そしてこの夏、ついに世界中のマニアから聖杯(笑えるんだけど)と呼ばれる「劇団 無頼派」制作の「今様聖書(モダンバイブル)」がリリースされたのです。
今の令和の時代は昭和が掘り起こされブームとなっている。
しかし、昭和の「今様聖書(モダンバイブル)」を掘り起こしたのは米国のレーベル。
変わり者はどこにでもいる。変わり者は変わり者を見つけるのだ。
世界には無数の楽曲がある。僕たちは世に打って出たわけでもないし、また売れることなど期待もしていないが、何故か、ただ、「見つけてもらえた」感が凄く嬉しいのである。
聞けば、その米国人は日本の中古レコード店で原盤を手に入れて、原盤のクレジットからFBを辿って僕に行き着いたそうである。ということは、この経緯は時代の恩恵としか言いようがない。
そして、こういう出来事は今この瞬間、世界中の至る所で起こっているのだ。時を超え、所を超えて、点と点が繋がる。そして、当時の僕の芸名を「神無 点」(かんな てん)と言う
大昔の高橋実↑
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